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Sightseeing in Seattle



 





【Mr.Dean Nomura、 島村君と】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1980/6/30  LAについた。

ついにLAについた。
偶然にも島村君という名大の2年の人が自転車でシアトルを出発する計画で同じフライトであった。となりの席にしてもらって、いろいろ話をしたところ、イエローストーンまで同じルートなのである。一緒に走るかどうかはわからないが、僕は予約の関係で一つ早いフライトでシアトルに行くことになったが、シアトルでまた連絡をとることになっている。
さて、一人になった俺はUnited Airlineのカウンターに行かなければならなかった。
どのようにいったらよいかわからないので老夫婦にきいてみると。親切に教えてくれた。You have a good Englishといわれたので気をよくしていたところが、UAのカウンターに言って「自転車が完成車のままで運べるか」ということをきいたらなかなかうまく伝わらず。「運べない」という返事が返ってきて、実は運べることになっているのに聞き方がわるかったのであろう。それでまあ仕方なくたたんだままで送ることにした。
11時ごろ日本人の人がきて、朝のフライトまで待つということなので、一緒に空港で待つことにした。

Y:15.5$ 夕:1$ コルゲート:1$

1980/7/1  Seattle

7:05United AirlineでSeattleへ行く。
待合室で近くにいた若い男の人と話したが、どうしてもNative speakerにはついていけない。
空港についてすぐ自転車を組み立て、すぐにシアトルへ向かう。
信号のところで、男の人に「どこまで走るんだ?」ときかれて「ニューヨークまで」と答えると「Congratulation」といってくれた、。
たいていの場合は「Good Luck」といわれるが、人によってはその言い方が違う。
シアトルについたのは12時40分シアトルの町をぐるぐる回ってみたが、結局シアトルセンターというところに落ち着いてそこで4時ごろまでグッタリしていた。
Mr.ノムラとなかなか連絡がつかず今日はYにとまることにしようと思い。5:30頃チェックインして、夜のシアトルを歩き、さすがに本屋によって日本では見られないものを見てきた。
11時過ぎにY(ユースホステル)に戻り、島村君のいるところに電話すると、ホテルに行ったということで連絡がつかめなかったがフロントの人がMessageがあるというのでもらうと島村からであった。
どうしてYにいることがわかったのかなあと思いながらも連絡がついておちついて床についた。


1980/7/2  出発準備


朝9時30分ごろYを出て島のいるホテルに行った。
そしてREIへ行き、買うべきものを買ったがチューブのバルブが違うので大変困った。フレンチバルブなんてものはどこにもないらしい。それにポンプのねじ穴もちがうのでジョイントだけを買えることは不可能になり、ポンプごと買ってしまった。
これがなかなかスバラシイものであった。アメリカではプレスタというのがフレンチバルブのことであったで、ジョイントはまた別にあってこれがなんていうのか忘れた。が、アメリカを走るんだったらそのためのアダプタかチューブをそれにかえることが必要であると痛感。
5時に島の知り合いがきて家に連れて行ってくれ、夕飯とベッドを世話してもらった。
Mr.ノムラとも連絡がつき明日会える予定。

装備:180$ 食:4$ 切手:2$


1980/7/3  Mr. Dean Nomura

朝Thiesさんたちに送られてDeanのオフィスへいく。
彼は仕事なので島と俺はシアトルの市内見物にいくことになっていた。
U.Washington Ter→シアトルセンター→シーサイドと自転車で回り4時に帰ってきてその後DeanとREI、スーパーに行ってかれのところにつれていってもらい、バーベキューなどをごちそうになった。
Very Good! 
10時すぎにランドリーマットにつれていってもらい。せんたくをして気分一新して明日出発する予定である。

L:3.5$ 装:5.5$ 食料:2.5$ B:3$
1980/7/4 独立記念日 Hit the Road!

ディーンの家を8時前に出て、カフェテリアで朝食をとる。
8:50出発。522をへて。《2》へ入り、Steven Passに向けて走る。
きょうはかなり長い道のりでしかも1200mも登らなければならないので、大変であるがこれが走れたら後は楽になると思う。
荷物をたくさんもったルンルンはすこし大変そう。それでも俺がテントをもってあげているのだ。
独立記念日ということで車がガンガン走り、クラッカーなどをやたらにならしたりしていた。
俺たちもある店の前で座ってパンなどを食べていたら、爆竹を投げられたりした。
メチャクチャなところだ。
Passをなんとか通り過ぎると下りだった。6時を過ぎていて、気温も10度以下になっていたのでないかと思われる。下りは大変寒くてダウンセーターをきた。なんとか寒くなくなった程度だ。指も手袋2枚でやっと普通の状態を保てたという寒さなのだ。
それからホテルを探して、2人で10ドルという安いロッジをかりることができ、人々もみんな親切で友好的だ。

食:7$ 泊:5$

※ルンルン:島村君の愛称
     《2》:国道の番号


1980/7/5

きのうの寒さに比べて今日はかなりあたたかかった。
Wenat Cheeで食事をとり坂を上りきるとなんと夢にまで見ていた大平原だ。すばらしい大自然である。
19:20にBanks Lakeの近くのMotelにはいってきょうはおわった。約110mlsであった。

L:4.5$ Foods:3$ 泊:10$


1980/7/6  Spokane 島村君と別れ別々に
きょうはSpokaneで島と別々になることにした。
というのはペースがちがうことと英語を彼に頼りきってしまうときがあることにある。
一日中大平原を走り続けてSpokaneにつくと彼にステーキを別れのしるしにごちそうして、俺は一路《90》を通り東へ向かう。
インターステートは車が多く、しかし路肩が広いので又勾配が急でないので走りやすい。しかし、途中でハイウェイパトロールにつかまり『Old High Wayの方を走れ』というので降りることにした。
しかしながらすぐにCoeur Da Reneという観光地にたどりつき、今レストランでコーヒーを飲んでいるところである。これからあと30mlsくらい走るつもりである。

F:2.5$+1.0 Di:15 装:8$

STEVENS PASS



【STEVENS PASS El.1220m】


【果てしない荒野が続く】

 

 

 

 

 

 

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